教材開発の視点 [教材研究]

効率によって「楽しさ」を犠牲にしていないか。

その教材によって、子どもたちは笑顔になれるかどうか。

楽しいから力になる。

楽しいから身につく。


大きな数 小さな数 [教材研究]

10^24 ヨタ (yotta) Y
10^21 ゼタ (zetta) Z
10^18 エクサ (exa) E
10^15 ペタ (peta) P
10^12 テラ (tera) T
10^9 ギガ (giga) G
10^6 メガ (mega) M
10^3 キロ (kilo) k
10^2 ヘクト (hecto) h
10^1 デカ (deca, deka) da
10^0 なし
10^-1 デシ (deci) d
10^-2 センチ (centi) c
10^-3 ミリ (milli) m
10^-6 マイクロ (micro) µ
10^-9 ナノ (nano) n
10^-12 ピコ (pico) p
10^-15 フェムト (femto) f
10^-18 アト (atto) a
10^-21 ゼプト (zepto) z
10^-24 ヨクト (yocto) y

ミリより小さな単位ってないんですか?

と聞かれたので、調べてみた。

6年生で学習する「単位」の学習につなげられるといいな。


ことばを蓄積させねばならない [教材研究]

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言葉を沈殿させなければならない。

澱のようにたまったことばが、濁りを創りだす。

ありふれたものを意味あるものへと変える「名指し」を可能にする。


ノート指導 [教材研究]

単元のまとめを見開きでノートにまとめる・・・という実践をずっと続けてきたが、それが日常のノート指導に生きているか、というと、最近ちょっと自信が持てない。

「書かせるための指導」「こぎれいにまとめる指導」になっていて、肝心の「力をつけること」が疎かになってはいなかったか。持ち上がりのクラスで、同じ実践を繰り返していると、活動が惰性に蝕まれていく。変化が必要だ。

理科は残すところ2単元のみ。集大成として最後に見開きでまとめさせるとして、それとは別に

「短時間で出来る」「日々のノート指導に直結する」「評価の観点が限定されている」指導を行いたい。

今日は、「発電」について。

手回し発電機と乾電池の特徴を、実験後10分程度でまとめさせた。

量的にはノート1ページ程度。これが非常に良かった。

作品づくりではなく、質的充実。そして作業効率の向上。この単元の中で集中的かつ連続的に取り組ませていく。

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卒業文集 [教材研究]

卒業文集の中に、子どもの作文のページがある。

1ページの上下に、1人ずつ「将来の夢」「6年間の思い出」といった作文をのせるのが定番だが、

2回目の卒業生のときに実践して好評だったのが、

作文の間の仕切りに、メッセージを入れる

というもの。

普通、そこには業者デザインの帯が入っているのだが、たとえば、クラスでうたった歌の印象的な歌詞を入れるのである。

子どもの字よりも大きくならないように、謙虚な書体で入れるのがポイント。

今年の卒業生たちもたくさんの歌をうたってきたので、選ぶ作業は楽しかった。

ビートルズの「ハロー・グッバイ」などは英語のまま入れたので、読めないかもしれないが、いつか誰かがクスリとしてくれたらいいなと思う。


歴史かるた [教材研究]

歴史かるた3.jpg歴史かるた1.jpg歴史かるた2.jpg

歴史かるた4.jpg

家康が 祀ってあるのは 東照宮 世界遺産は 今日もにぎわう 

明治時代 軍隊整備し 強い国へ 国力つける 富国強兵 

鉄砲隊 騎馬軍ひるむ 武田軍 織田・徳川の 勝利導く 

一年間 ロシアと対立 日本軍 奇跡の勝利 日露戦争 

米づくり 弥生時代に 伝わった 豊かになった 人々の暮らし 

薩摩藩 長州藩と 仲直り おまんのおかげ 坂本龍馬 

疎開して 常にお腹を すかせてる やっと食べれた なすのみそ汁 

武士のため 百姓・町人 手足になる 身分差激しい 士農工商 

オシャレだが 暑くてもろい 縄文土器 穴にさして 料理をする 

弥生時代 料理をするのに 使われた うすくてかたい 弥生土器

アメリカと 5年にわたる 戦争に 日本敗れて 降伏したよ 

役人の 不正を正す 打ちこわし みんなのヒーロー 大塩平八郎 

日本と 中国の戦争 8年間 ああ長かった 日中戦争 

長い列 みんな合わせて 二千人 江戸に参ろう 大名行列 

縄文に 誰かが来たよ 渡来人 仏教・漢字 米を伝えた 

原爆で 奇跡的に残ってる 原爆ドーム 今日もにぎわう 

壇の浦 平氏と源氏の 最後の場 勝利したのは 源氏の者達 

五世紀から 今現在も 日本一 やっぱりでかい 大山古墳 

鎖国して 貿易相手 二国のみ キリスト教を 完全防御 

製糸場 集められた 工女達 技術を伝え 産業発展 

渡良瀬川 排水流した 足尾銅山 人々助けた 田中正造 

日清戦争 日本勝利 台湾と 賠償金を 獲得したよ 

大日本 帝国憲法 作るべし 天皇中心 国づくりの教育

平城京 唐の長安 見習って 碁盤のような まっすぐな道 

十七条 憲法作り 国まとめ 政治の中心 聖徳太子

平安の 貴族の家の 造り方 いつでも暗い 寝殿造り 

日本には 今も流れる 室町文化 ふすまや障子の 書院造 

将軍が 領地を与え 武士嬉し 鎌倉時代の 御恩と奉公 

貴族達 ひらがな作った 奈良時代 日本独自の 国風文化 

日本の 復興表す オリンピック 日本選手 大健闘する 

男女の差 埋めようとして 頑張った 勇気ある人 平塚らいてう 

学習してきたキーワードをちりばめて、歴史カルタづくりを行った。

自分の好きな言葉ではなく、36人に1つずつ無作為に割り当てた。

「○○がよかった~!」という言葉もあったが、それは自主性に任せるということで(笑)。

短歌という形式はもちろん、学習してしまったことを忘れている事実(!)に苦労していたが、おかげでよい復習となった。

せっかく作ったので、しばらく手作りカルタで遊んでみるかな。


校舎の絵 [教材研究]

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下書き5時間(構成含む)

着色6時間

△彩色の基本

△混色

△空の書き方

◎透視図法・空気遠近法

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いま始まる新しいいま [教材研究]

心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる

・「新鮮」「十数秒」「全身」 言葉を粒立てる

・十数秒は早いか遅いか。→早い。十数秒もかけて、ではなく、たったの十数秒でという感じ。一息で読み、感動を伝える。


わたしはさっきのわたしではない

そしてあなたも
わたしたちはいつも新しい

・わたしと「さっきのわたし」との対比

・「あなた」への視線

・「わたしたち」とは?→表層的にはわたしとあなたの二人。しかし、この場合の「あなた」は、特定のあなたではなく、不特定多数の「あなた」。そういう含みを込めて。

・「いつも」を粒立てる。

さなぎからかえったばかりの蝶が
生まれたばかりの陽炎の中で揺れる
あの花は
きのうはまだ蕾だった

・「ばかり」のくり返し。リズミカルに。

・「あの」花→距離感を「視線」で。「この」「その」よりも遠くを意識して。

・「まだ」を粒立てる。

・蛹と蝶の対比、花と蕾の対比。


海を渡ってきた新しい風がほら
踊りながら走ってくる
自然はいつも新しい

・「ほら」→呼びかける

・風に気付いたのは、×風が吹く前、○風が吹いてから。前文と間を空ける。

・走ってくる→近づいてくる。クレッシェンド。

・踊りながら・・・リズミカルに。

・「いつも」を粒立てる。


きのう知らなかったことを
きょう知る喜び
きのうは気づかなかったけど
きょう見えてくるものがある

・「きのう」と「きょう」の対比。 

日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる

・「また」「さえ」を粒立てる。

きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある

・「新しい」「まっさら」「初めて」→言葉を粒立てる。


いつも いつも
新しいいのちを生きよう
いま始まる新しいいま

・いつも いつも・・・くり返しによる強調。

・「生きよう」・・・呼びかけ。


一晩中踊り明かそう [教材研究]

音楽会で合奏することになったミュージカル「マイ・フェア・レディ」の曲「一晩中踊り明かそう」。

オードリー・ヘップバーンの映画はもちろん、ミュージカルも見たことがなかったので勉強することにした。

いろいろと調べて分かったのは、この物語が単純な成功物語ではないこと。

原題が「ピグマリオン」であることから分かるように、主役は花売り娘のイライザではなく、ヒギンズ教授だ。

イライザはヒギンズ教授(ピグマリオン)の理想の投影であるガラテアにすぎない。

ギリシア神話がピグマリオンとガラテアの婚礼で終わったように、映画「マイ・フェア・レディ」もイライザとヒギンズ教授が結びつくことを暗示して終わる。

しかし、原作「ピグマリオン」では、最後までイライザを花売り娘としか見なかったヒギンズを離れ、イライザは別の男性のもとに行き、花売りとして生きていく道を選ぶ・・・「ピグマリオン効果」の言葉通りの生き方を選んだことになる。

原作と全く異なる結論を選んだ映画。近作では「デス・ノート」や「20世紀少年」(すでに近作ではないか)があるが、こういう趣向は決して嫌いではない。物語にそれだけ空想の間隙があるのは良いことだと私は思う。

「フェア」という言葉にも色々な含みがあるようだ。

うーん、曲紹介を子ども達にするために勉強したのだが、一筋縄ではいかなそうなので、あきらめた。

上品に、楽しくやろう(笑)。


漢字100問 [教材研究]

今まで行ってきたのは、漢字50問。

熟語ではなく、新出漢字のみの50問テスト。

ほとんど指導を入れなくても、「ある程度」の回数をこなせば、90パーセント以上の子が5分でできるようになった。

つまり、「負荷」が少ないということだ。

今行っているのは、漢字100問。

しかも、全て熟語で書かせるというもの。(時間は15分)

上記の漢字50問に比べると、とてつもなくハードルが高い。

事実、夏休み前にかなり繰り返したにもかかわらず、90点を取れたのは4名のみ。

現学級は、課題を課したときにできるようになるまで復習するという子がごくごくわずかしかいない。

つまり、「4人」は、7月までの学習で定着している正確な人数だと言えるだろう。

その後、1週間、学校や家庭学習で練習時間をもうけて再び同じテストを行った。

解答は渡してあるものの、教師は一切採点をしない。

つまり、自らの学習のみで目標達成できるか否か=「自主学習力があるかどうか」を計ったのである。

結果は36名中、18名「だけ」が90点を達成できた。

より負荷のある課題を出すとき、「子どもに合っているかどうか」だけではないモノサシが必要だ。

自力ではできなかった。子どもには合っていなかった。だから課題のレベルを下げよう・・・・

低い基準に合わせていくと、全体のレベルはどんどん低下していくだろう。そうではないのだ。

自力ではできなかった。子どもに力が付いていないということだ。では、どうすれば力をつけることができるか?

この二日間考えて、一つの案が浮かんだ。

さて、それが彼らの成長につながるかどうか。

自身を持ったあの子の顔を見たいなぁと思う。

自分の成長を喜ぶあの子の顔が見たいなぁと思う。

教材研究とは子ども研究のことだ。

漢字テストと向かい合いながら、クラスの子ども達の顔が浮かぶとき、自分はまだ教師を続けてもよいのだと確信できる。


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