合理的配慮 [長期研究時代]
皮算用 [長期研究時代]
毎日意識しなければできないレベルではなく、やらなければなんだか気持ちが悪いレベルにまでもっていく。
そこまでして、初めて「日常化」といえる。
年度の節目には、いつも日常化したいと思うことを意識化し、それを日常化するための方法を考えるのだが、さて、振り返ったときにどれだけのことを日常化できたか。
今年度続けてきたもののいくつかは、継続目標としては十分頑張ったといえるものの、まだ気持ち悪いのレベルには達していない。
アプローチの仕方を少しだけ変えるか、目標設定を下方修正するか、そもそもの目標自体を変えるか。そんなこんなを皮算用する時間が割と好きだったりする。
ジャイアント・ステップ [長期研究時代]
先週末の金曜日、発熱による体調不良のため早退をした。
幸いインフルエンザではなかったが、3連休は体調を整えることに終始した。
復調したものの、体力はガタ落ち。軽く走っただけで息が切れるし、足が重い。この1年間で、ただでさえ少ない「体貯金」をすべて使い切ってしまったようだ。
何とかしなければ、ということで、今日から早速体を動かす習慣作りを始めた。
普段から運動に励んでいる人たちから見れば、本当に情けなくなるような運動量である。
「何もやらないよりはまし」程度ではあるが、この一歩が「大いなる一歩」であることを信じ、継続していこう。
すばらしい新世界 [長期研究時代]
ハックスリーの「すばらしい新世界」。
マーク・トゥウェインの「人間とは何か」と並び、世界観がひっくり返るほどの衝撃を受けた作品。
光文社古典新訳文庫から新訳が出ていることを知り、春休みから現在進行形で読み進めている。
余談だが、光文社の古典新訳文庫シリーズ、選書が本当に素晴らしい。自分が選んでいるのではないかと言うくらい好みが合っていて恐いくらいだ。しばらく読み続けていきたい。
著者による新版への前書きは必読。5月 [長期研究時代]
研究テーマ決めに専心していたら、いつの間にか5月。
学校現場にいたときとはまるで違うけれど、時は確実に流れていく。
記録し記憶にとどめるよう心がけていきたい。書かないと心に残らない…
風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)
- 作者: 宮崎 駿
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: 文庫
19冊目。
「もののけ姫」「アリエッティ」「コクリコ坂」など、インタビューの中にすでに可能性が表れているのが興味深い。
作品として出てくるかどうかは別にして、物語というのはすでに作家の内にあるものなのだと思う。
ジブリ関連のインタビュー本をいくつか読んできたが、一番過激で面白かった。インタビュアーが挑発的というか攻撃的で実に刺激的。宮崎駿もそれ以上に過激。インタビューの場にいたらけっこうキツイだろうなぁ(笑)。
20冊目。
想像していた内容と違って受験指南書のようだった。
西研の著作は論旨明快で好きなのだが、今読みたい内容ではなかった。残念。
21冊目。
受験奮闘記にあるまじき厚さに興味をひかれて読んだ。
中卒の父親が娘と中学受験の最高峰である桜蔭学園に挑む・・・?
「娘が父親と共に」ではなく、「父親が娘と共に」と書く方がふさわしく思えるほど倒錯した父親の奮闘ぶり。
父親目線から語っているからとか、物語的誇張が多分に含まれているとかも当然あるのだろうけれど、
それにしてもすさまじい。
教師として、2児の父として笑えない場面もあったが、サン・テグジュペリの「夜間飛行」を読んだ時のような読後感があった。
「ねばならぬ」という使命感は狂気と紙一重だ。そう思う。
杜子春 [長期研究時代]
喜嶋先生の静かな生活 [長期研究時代]
10冊目。
大人になることを強制されたハンスの悲劇。
子どもらしさを大切にするよう説いた鍛冶屋フライクの言葉が彼に届かなかったのはなぜか。
「教師の連中も、この子をこんな目にあわせるのに手をかしたわけですよ。それにあなたとわたしも、この子に対していろいろと手抜かりがあったのでしょうね。」
教えるという立場に立つようになった今だからこそ、ハッとする言葉だ。
ハンスは、もっと神童のように描かれていたような気がしたが、そんなことは全くなかった。
思春期の自己投影は多分に誇張されやすい、ということだろう。
それを恥ずかしい、と感じる年齢も過ぎてしまった。
喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)
- 作者: 森 博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/10/16
- メディア: 文庫
11冊目。
あとがきにもあるが、これは理系版「こころ」だ。
今、研究に携わる身としては、「論文」や「学び」に関する文が強く印象に残った。
「既にあるものを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない」
「この問題が解決したら、どうなるんですか?」
「もう少しむずかしい問題が把握できる」
「そうやって調べることで、何を研究すれば良いのか、ということがわかるだけだ。本や資料に書かれていることは、誰かが考えたことで、それを知ることで、人間の知恵が及んだ限界点が見える。そこが、つまり研究のスタートラインだ。文献を調べ尽くすことで、やっとスタートラインに立てる。問題は、そこから自分の力で、どこへ進むのかだ」
アンダーラインを引きながら読んだら、本がよれよれになってしまった。時間をおいて何度も読み直したい本だ。
「新世界より」再読 [長期研究時代]
通勤読書7,8,9冊目。
去年に1度読んだときは、あさのあつこ氏の「№6」によく似ているなぁという第一印象が強すぎて、作品世界に「入り込めなかった」。傑作であることを深く認めつつ、だ。
さまざまなジャンルで飽くことなく繰り返されるモチーフ、
・ユートピアから反転してのデストピア
・超能力者と非能力者の相克
・思春期の同性愛的感情
・感染症(ウィルス)や心理学による根拠づけ
「美味しい部分の寄せ集め」と斜に構えてしまい、それらのモチーフを破綻させることなく1400ページもの大長編にまとめ切った作者の敏腕、一気に読ませる語りの上手さ、そして何よりも
細部までとことんこだわった世界観の完成度の高さ
を素直に認められないでいた。
その一番の理由は、「グロ注意!」と絶叫したくなる凄惨な描写ではなく、ポルノ小説まがいの性描写の方にある。村上春樹が「好き」と言えないのも多分同じ理由。あからさまな性描写はどうも得意ではない。
「ダレン・シャン」には抵抗を感じないが、「カラフル」を教室に置くのには抵抗がある。そんな気質が自分にはある(といって、決してグロ小説が好きなわけではないのだが・・・)。
さて、今回再読をしたくなった動機は、本屋大賞に選ばれた「鹿の王」を再読したことにある。話の中に出てくるモチーフが類似している、例えば
「黒狼病」と「悪鬼」「業魔」
主題とも大きく関連するワードであるが、そういう分かりやすい類似点だけでなく、「読後感」が何となく似ている。そう感じた。
もしかしたら、ちゃんと読めていなかったかもしれないな。
そんな素直(!?)な気持ちで読み直してみたら、驚くべき面白さだった。1回目の読書で傑作と認めつつこの世界観に浸りきれなかったのが不思議なくらい、ハマってしまった。2度目でどっぷりとハマる読書体験は、ル・グウィンの「ゲド戦記」2巻以降以来か。
1400ページの大著であるが、通勤時間だけでは飽き足らず、寝る間も惜しんで3日間で読み切ってしまった。特に下巻に入ってからは、バス停から自宅まで歩きながら読んで帰ったという教員にあるまじき事実も告白しておく(笑)。それくらいに世界観に没頭してしまった。
内容については改めて触れないが、再読して特に深く感じたのが作者の「日本語へのこだわり」。
遊弋、容喙、立錐の余地もない、騎虎の勢い、一揖する
生活の中では耳にしないそれらの言葉が、とても美しく感じた。
日本語をはぐくんだ日本という国に対する作中人物、ひいては作者の「愛」を表している・・・作品の舞台を日本に選んだ必然性がはっきりと感じられた。
次はこの勢いで「指輪物語」にいくか、と思っていたが、来週は小休止、短めのものをいくつか読みたい。
ということで、通勤読書10冊目はこれ。
「夜間飛行」以降、光文社の新訳シリーズにハマっているのだ。
中学生以来なので、何年振りか。楽しみだ。