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合理的配慮 [長期研究時代]


「合理的配慮」の原語はreasonable accomodation。
accomodationの意味を辞書で引くと、「調整」や「調和」とある。
合理的配慮ではなく、合理的調整。
配慮する側とされる側という感じが薄まる。

それを敢えて「配慮」とするのはなぜか。
日本では、それを必要とする人が自ら声を上げるという文化が根付いていないからではないか。

本来、学校でいえば、学習者の側が「~だから、こうしてほしい」と要求し、授業者が調整しながら応えていくのが望ましい形である。
例えば机の高さ。
「机の高さが合わないので、変えてください」
という要求に対して、教師は一人ひとりの要求に対応していけばよい。
しかし、教師が「机の高さを変えたい人はいますか」と声をかけなければ、自ら声をあげられない児童のなんと多いことか。

だから合理的「調整」ではなく、「合理的配慮」なのではないか。
配慮する・されるという誤解の余地を残すとしても、まず、教える側の意識を変えるための「合理的配慮」。



皮算用 [長期研究時代]

 毎日意識しなければできないレベルではなく、やらなければなんだか気持ちが悪いレベルにまでもっていく。

そこまでして、初めて「日常化」といえる。

年度の節目には、いつも日常化したいと思うことを意識化し、それを日常化するための方法を考えるのだが、さて、振り返ったときにどれだけのことを日常化できたか。

今年度続けてきたもののいくつかは、継続目標としては十分頑張ったといえるものの、まだ気持ち悪いのレベルには達していない。

アプローチの仕方を少しだけ変えるか、目標設定を下方修正するか、そもそもの目標自体を変えるか。そんなこんなを皮算用する時間が割と好きだったりする。


ジャイアント・ステップ [長期研究時代]

先週末の金曜日、発熱による体調不良のため早退をした。

幸いインフルエンザではなかったが、3連休は体調を整えることに終始した。

復調したものの、体力はガタ落ち。軽く走っただけで息が切れるし、足が重い。この1年間で、ただでさえ少ない「体貯金」をすべて使い切ってしまったようだ。

何とかしなければ、ということで、今日から早速体を動かす習慣作りを始めた。

普段から運動に励んでいる人たちから見れば、本当に情けなくなるような運動量である。

「何もやらないよりはまし」程度ではあるが、この一歩が「大いなる一歩」であることを信じ、継続していこう。


すばらしい新世界 [長期研究時代]


すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

  • 作者: ハックスリー
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1974/11/15
  • メディア: ペーパーバック

ハックスリーの「すばらしい新世界」。

マーク・トゥウェインの「人間とは何か」と並び、世界観がひっくり返るほどの衝撃を受けた作品。

光文社古典新訳文庫から新訳が出ていることを知り、春休みから現在進行形で読み進めている。

余談だが、光文社の古典新訳文庫シリーズ、選書が本当に素晴らしい。自分が選んでいるのではないかと言うくらい好みが合っていて恐いくらいだ。しばらく読み続けていきたい。

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: オルダス ハクスリー
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/06/12
  • メディア: 文庫
著者による新版への前書きは必読。



現代のプロクルステスである 原子力科学者は 人類が寝るベッドをこしらえるが、サイズ が合わ ないとき は 人類が気の毒な目に遭うのだ。手足を引き伸ばされたり、切断されたり。同じような引き伸ばしと切断は あらゆる応用科学がうまく立ちゆくまでに必ず起こってきたことだが、原子力の場合は それが過去に例がないほど 激烈な形で生じるはずである。
この無痛とはとうてい言えない手術は 高度に中央集権化された全体主義的国家によって実施されることになるだろう。
それはもう必然的にそうなる。

真に効率的な全体主義国家というのは、強大な権力を持つ 政治的ボスの小集団と、それ に奉仕する事務方の軍団が、隷属を愛するゆえに 強制されなくても 働く奴隷の大集団を管理する国家だ。 
現代の全体主義国家において、大集団に 隷属を好むよう仕向ける役目は、プロパガンダを担当する官僚と、新聞社の編集主幹と、学校教師に与えられている。

もろもろ考えてみると、ユートピアはほんの一五年前に わたしが想像したよりもずっと近いところにあるように見える。 
当時は 六〇〇年後の未来の話だと考えたが、今はあと一世紀以内に あのおぞましい現実がわれわれの前に立ち現われることも充分ありそうな気がする。もちろん、その前に人類が自分たちを粉々に吹き飛ばしてしまわなければの話だが。

的を射る言葉

的を射る言葉

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 単行本
22冊目。
筆者曰く、的を外しているようで、ギリギリかすっている言葉の数々。
とてもセンスの良い本だと思う。


5月 [長期研究時代]

研究テーマ決めに専心していたら、いつの間にか5月。

学校現場にいたときとはまるで違うけれど、時は確実に流れていく。

記録し記憶にとどめるよう心がけていきたい。書かないと心に残らない…

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)

  • 作者: 宮崎 駿
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/11/08
  • メディア: 文庫

19冊目。

「もののけ姫」「アリエッティ」「コクリコ坂」など、インタビューの中にすでに可能性が表れているのが興味深い。

作品として出てくるかどうかは別にして、物語というのはすでに作家の内にあるものなのだと思う。

ジブリ関連のインタビュー本をいくつか読んできたが、一番過激で面白かった。インタビュアーが挑発的というか攻撃的で実に刺激的。宮崎駿もそれ以上に過激。インタビューの場にいたらけっこうキツイだろうなぁ(笑)。

「考える」ための小論文 (ちくま新書)

「考える」ための小論文 (ちくま新書)

  • 作者: 西 研
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 新書



20冊目。

想像していた内容と違って受験指南書のようだった。

西研の著作は論旨明快で好きなのだが、今読みたい内容ではなかった。残念。

下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!

下剋上受験-両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!

  • 作者: 桜井信一
  • 出版社/メーカー: 産経新聞出版
  • 発売日: 2014/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




21冊目。

受験奮闘記にあるまじき厚さに興味をひかれて読んだ。

中卒の父親が娘と中学受験の最高峰である桜蔭学園に挑む・・・?

「娘が父親と共に」ではなく、「父親が娘と共に」と書く方がふさわしく思えるほど倒錯した父親の奮闘ぶり。

父親目線から語っているからとか、物語的誇張が多分に含まれているとかも当然あるのだろうけれど、

それにしてもすさまじい。

教師として、2児の父として笑えない場面もあったが、サン・テグジュペリの「夜間飛行」を読んだ時のような読後感があった。

「ねばならぬ」という使命感は狂気と紙一重だ。そう思う。


杜子春 [長期研究時代]


蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/11/19
  • メディア: 文庫


通勤読書13冊目。

やはり圧倒的に文章が上手い。ぐいぐいと読んでしまった。

「鼻」など、好きだったはずの話の結末を失念していた。

物忘れを嘆くというよりは、再び新鮮な気持ちで名作と出会える喜びの方が大きい。


喜嶋先生の静かな生活 [長期研究時代]


車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/12/06
  • メディア: 文庫


10冊目。

大人になることを強制されたハンスの悲劇。

子どもらしさを大切にするよう説いた鍛冶屋フライクの言葉が彼に届かなかったのはなぜか。

「教師の連中も、この子をこんな目にあわせるのに手をかしたわけですよ。それにあなたとわたしも、この子に対していろいろと手抜かりがあったのでしょうね。」

教えるという立場に立つようになった今だからこそ、ハッとする言葉だ。

ハンスは、もっと神童のように描かれていたような気がしたが、そんなことは全くなかった。

思春期の自己投影は多分に誇張されやすい、ということだろう。

それを恥ずかしい、と感じる年齢も過ぎてしまった。


喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/10/16
  • メディア: 文庫

11冊目。

あとがきにもあるが、これは理系版「こころ」だ。

今、研究に携わる身としては、「論文」や「学び」に関する文が強く印象に残った。

「既にあるものを知ることも、理解することも、研究ではない。研究とは、今はないものを知ること、理解することだ。それを実現するための手がかりは、自分の発想しかない」

「この問題が解決したら、どうなるんですか?」
「もう少しむずかしい問題が把握できる」

「そうやって調べることで、何を研究すれば良いのか、ということがわかるだけだ。本や資料に書かれていることは、誰かが考えたことで、それを知ることで、人間の知恵が及んだ限界点が見える。そこが、つまり研究のスタートラインだ。文献を調べ尽くすことで、やっとスタートラインに立てる。問題は、そこから自分の力で、どこへ進むのかだ」


アンダーラインを引きながら読んだら、本がよれよれになってしまった。時間をおいて何度も読み直したい本だ。


「新世界より」再読 [長期研究時代]


新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(上) (講談社文庫)

  • 作者: 貴志 祐介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/14
  • メディア: 文庫



新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

  • 作者: 貴志 祐介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/14
  • メディア: 文庫



新世界より(下) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

  • 作者: 貴志 祐介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/14
  • メディア: 文庫



通勤読書7,8,9冊目。

去年に1度読んだときは、あさのあつこ氏の「№6」によく似ているなぁという第一印象が強すぎて、作品世界に「入り込めなかった」。傑作であることを深く認めつつ、だ。

さまざまなジャンルで飽くことなく繰り返されるモチーフ、

・ユートピアから反転してのデストピア

・超能力者と非能力者の相克

・思春期の同性愛的感情

・感染症(ウィルス)や心理学による根拠づけ

 「美味しい部分の寄せ集め」と斜に構えてしまい、それらのモチーフを破綻させることなく1400ページもの大長編にまとめ切った作者の敏腕、一気に読ませる語りの上手さ、そして何よりも

細部までとことんこだわった世界観の完成度の高さ

を素直に認められないでいた。

その一番の理由は、「グロ注意!」と絶叫したくなる凄惨な描写ではなく、ポルノ小説まがいの性描写の方にある。村上春樹が「好き」と言えないのも多分同じ理由。あからさまな性描写はどうも得意ではない。

「ダレン・シャン」には抵抗を感じないが、「カラフル」を教室に置くのには抵抗がある。そんな気質が自分にはある(といって、決してグロ小説が好きなわけではないのだが・・・)。

さて、今回再読をしたくなった動機は、本屋大賞に選ばれた「鹿の王」を再読したことにある。話の中に出てくるモチーフが類似している、例えば

「黒狼病」と「悪鬼」「業魔」

主題とも大きく関連するワードであるが、そういう分かりやすい類似点だけでなく、「読後感」が何となく似ている。そう感じた。

もしかしたら、ちゃんと読めていなかったかもしれないな。

そんな素直(!?)な気持ちで読み直してみたら、驚くべき面白さだった。1回目の読書で傑作と認めつつこの世界観に浸りきれなかったのが不思議なくらい、ハマってしまった。2度目でどっぷりとハマる読書体験は、ル・グウィンの「ゲド戦記」2巻以降以来か。

1400ページの大著であるが、通勤時間だけでは飽き足らず、寝る間も惜しんで3日間で読み切ってしまった。特に下巻に入ってからは、バス停から自宅まで歩きながら読んで帰ったという教員にあるまじき事実も告白しておく(笑)。それくらいに世界観に没頭してしまった。

内容については改めて触れないが、再読して特に深く感じたのが作者の「日本語へのこだわり」。

遊弋、容喙、立錐の余地もない、騎虎の勢い、一揖する

生活の中では耳にしないそれらの言葉が、とても美しく感じた。

日本語をはぐくんだ日本という国に対する作中人物、ひいては作者の「愛」を表している・・・作品の舞台を日本に選んだ必然性がはっきりと感じられた。

次はこの勢いで「指輪物語」にいくか、と思っていたが、来週は小休止、短めのものをいくつか読みたい。

ということで、通勤読書10冊目はこれ。

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/12/06
  • メディア: 文庫

「夜間飛行」以降、光文社の新訳シリーズにハマっているのだ。

中学生以来なので、何年振りか。楽しみだ。


150414 雨は続く [長期研究時代]


新年度が始まってから雨の日が続いている。
こんな4月は記憶にない。
学校では、子ども達の鬱憤もたまっているのだろうな…と思う。


 
いくつかの法規と文献を読み続けてきた結果、やっと「思考の土台」ができてきた。
そんな気がしている。
ジャグリングで言えば、3カスケードの「最初の3回ができるようになった」という感覚。
「できる」には程遠いのだけれど、その一端が掴めた、否、その一端に「かすった」ような感覚。

土台ができた証拠に、文科省から出ている文章を読んでも眠くなりにくくなった(笑)。
キーワードのように出てくる文言に触れると、思考がつながるようになった。
暗黙知の形成が、ネットワークを広げるている。間違いない。
現金なもので、こういう状態になってくると、読むことがすこーしだけ楽しくなってくる。
長期研究員生活が始まって半月。良い意味で、いろいろなことに慣れてきた。

さて、ここ2週間は研究テーマ周辺の法規ばかり読んできたが、今日は少し「外れた」ところのものをいくつか読んだ。
全くつながらないものも当然あるのだが、ある関心を中心に置いて外れたところを逍遥すると、ときどきつながっていく瞬間がある。
これが実にうれしい。「エウレカ!」という感じだ。
この感想自体もまた、電車通勤で再読した松岡正剛の「多読術」の影響を受けている。この文章を書いていて、はたと気づいた。

多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 松岡 正剛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/04/08
  • メディア: 新書



通勤読書6冊目は「多読術」。
やっぱり本は2度読まなければいけないなと思う。


語の意味とは語の使用のことである [長期研究時代]

先日、庭でシャボン玉遊びを終えたあと、上の娘に
「楽しい時間を過ごせたね」
と言われ、思わず絶句。そんな素敵な言葉をどこで覚えたのだろう?
うれしくてたくさん褒めたら、やたらと使いたがるようになった。

春休みに行って大好きになった箱根彫刻の森美術館。
「おとうちゃん、また楽しい時間を過ごしに行こうよ。みの、目玉焼きだーい好きだから!」
といって誘う。親バカで恐縮だが、それが実にかわいい。
(「目玉焼き」というのは、彫刻の森にあるモニュメントのこと。行ったことのある人ならばピンとくるだろう。)

娘たちの語彙が豊かになってきたのは喜ばしいことだが、心配な面もある。
最近気になったのが下の娘のこと。

何があっても謝らなかった彼女が、最近やっと「ごめんなさい」を覚えた。
ところが今度は、やたらと「ごめんなさい」を連呼するようになった。
「何がごめんなさいなの?」「お箸を投げません、と言うんだよ」「お姉ちゃんに噛みつきません(笑)と言うんだよ」と話しても、
泣きながら「ごめんなさい」をくり返すのみ。感情がフローしているときに理詰めでいじめているわけではない(はず)。
心のない謝罪の言葉。「政治家の素質あり」という冗談はさておき、
そんな娘を見ていて「心」とは何か考えてしまった。

語の意味とは語の使用のことである、と語ったのはヴィトゲンシュタイン。
「ごめんなさい」を適切に使えるようにはなったが、伴なってしかるべき「心」がまだ育っていない。
だから、上っ面だけの「ごめんなさい」となる。
両親に叱られる気配を察し、「ごめんなさい」と言えば許される。
「ごめんなさい」は、まだ彼女にとって免罪符でしかない。
上っ面だけでも上手く語を使用していれば、意味は通じるし、言語ゲームは成り立つ。
自分が「心」と呼ぶものがなくても、関係は成立してしまう。
それはちょっと恐いなぁと深く考えもせず思っていたが、転じて自分に目を向けてみるとどうだろうか?
今まで自分が形成してきた諸々の関係に、本当に「心」はあったか?
たくさんの関わりの中で、たくさんの言葉を交わしてきたが、その言葉は「上っ面」のものではなかったか?
そんな「やましさ」を感じてしまうこと自体が、不誠実であった証ではないかと言われてしまいそうだが、ではやましさを感じない人はいないのだろうか?そんな他愛もないことをふと思う。

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