もうひとつの曲がり角 [読書・映画・音楽]
2年前に担任したクラスの学級通信名が「曲がり角の向こう」でした。
「赤毛のアン」の有名な一節、
「曲がり角の向こうに何があるのか、今はわからないけど、きっとすばらしいものが待っていると信じることにしたわ。」
から拝借しました。
そういうこともあって、自分にとって「曲がり角」は特別な言葉です。
さて、岩瀬成子さんの新作です。
①タイトルに「曲がり角」という言葉が入っている。
②表紙を酒井駒子さんが描いている。
③自分は岩瀬成子さんのファンである。
ときたら、もう買わない理由がありません。
今作も、いろいろな意味で「突き刺さるお話」でした。
引っ越しによる環境の変化に馴染めない小学校5年生のわたし、朋。何か大きなトラブルがあるわけではない。でも、何となく不調和な毎日が子どもだった彼女を少しずつ変えていく・・・「もうひとつの曲がり角」はそんな話です。
「赤毛のアン」がそうであるように、この物語でも、「曲がり角」は象徴的に描かれます。アンが、積極的に曲がり角の向こうの希望を信じることにしたのに対し、この物語の主人公・朋は、もっとぼんやりとした感情のまま、曲がり角の先に進んでいきます。アンほど理知的ではないけれど、曲がり角の先にいくことを自ら選ぶという強さは共通しています。強さというよりは、内面から自分を動かす衝動性と呼ぶべきでしょうか。
小学校教諭として5年生の子たちと関わる機会が多いだけに、朋の抱える「うまく言えないけれどそうしたの!」という心情はよくわかります。理性的な判断ではない。けれども、決して感情だけに任せて決めているわけではないのです。岩瀬さんは、こうしたアンビバレントな内面描写が非常に上手く、まるでかつての自分を描かれているかのような錯覚を覚えます。だから突き刺さるのです。
物語の後半、彼女(とその兄)が下したある決断に対して、父親は言います。
「どっちにしても、よく考えてからきめる、というのは大事なことだから」
それに対して、彼女は答えます。
「じっくりかどうかわかんないけど、考えたよ。しなくちゃいけないといわれたから、しなくちゃいけないって思うのは、それは考えてないってことじゃないのかな」
自分の生き方を自分で選ぶ。
その第一歩を踏み出した朋の前途は、多難であっても希望を感じさせるものです。
「ああ面白かった!」というカタルシスはありませんが、読み終えた後も、心に澱となって残り続ける作品…「もうひとつの曲がり角」は、やはりいつもの岩瀬さんの本でした。
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ルントウが香炉と燭台がいると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。
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3年生国語の授業で扱う教材文です。