楽しさを大切に [教師修業]
次年度に向けて [教師修業]
主題と合わないから、言葉を広義に解釈して定義を広げる。
1つの言葉に多くを詰め込もうとした結果、肝心な主題が漠とする。
これを「抽象的」な議論と言う。
あれもこれもと求めれば、結局は何も求めていないのと同じことになる。
いかにしてエッジ(鋭利な部分)を作っていくか。
そこを議論したいのだけれど、会議は踊る、されど進まず。
ていねいに [教師修業]
2014年の実践を振り返り、またしても氣付く。
端的に言えば、「求めすぎている」。
「特別」に対する私のこだわりはずいぶん強いらしい。
平凡を非凡に。
凡事徹底。
愚徹。
願うものとは対極にある実践の数々。
結果として偏る。
意識的に取り組まなければ、無意識の「欲」や「こだわり」にとらわれる。
ていねいに。これでもかというくらいていねいに。
忙しい冬休みになりそうだが、ていねいに振り返りを行いたい。
距離感 [教師修業]
話を聞くときの距離感。
話を伝えるときの距離感。
パーソナルスペースは人によって違うのだから、当然一般化はできない。
しかし、一定の期間「観察」を続けることで、距離感の変化を感じることができる。
近くなった子がいる一方で、変わらない子もいる。
詰め寄る努力が足りなかったのか、時間が必要なのか。
性急に結果を求めることはないが、距離感には敏感であった方が良い。
そう思う。
縄文時代、弥生時代 [教師修業]
言葉の背後に [教師修業]
リスク・マネージメント [教師修業]
運動場に遊びに来ている子ども達をふと見ると、15人くらいの集団が。
よく見たら全員自分のクラスの子だった。
最近、放課後の遊びが広がり、男女で集まっている姿見かける。
いいなぁと思う反面、それに加わっていない20数名の子達との乖離も意識しなければならない。
老婆心というやつである。
特定の集団で仲が良くなるというのは、内と外に境界をつくる。
境界線はあいまいな方がよい。
ことが起きる前に、いろいろな状況を考える。
悪い場合も起こりうると想定しておく。
当然必要な配慮だと思うのだが、少し前までそういうことに無自覚だったなぁと思う。
うん。老いるだけでなくちゃんと成長している(笑)。
贈ることば [教師修業]
今年度の学級通信の取り組みの一つ。
クラスの子の誕生日に詩を贈っている。
数年前の自分だったら、そんな「きざ」なことはできなかった。
今だって、内心「きざ」だなぁと思いながらやっているのだ。
でも、子どもは喜んでくれている(はず)。
先日、35歳の誕生日を迎えた。
子ども達から、あたたかいメッセージブックをもらったのだが、Aくんが「先生にも詩を・・・・」ということで、贈ってくれたのが
斎藤由貴の「卒業」より、
「ああ、卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう
でももっと悲しい瞬間に 涙はとって 置きたいの」
だった。どういう意図だ(笑)。
ちょっと斜に構えたAくん。
その彼が、詩を贈るという行為を好意的にとらえてくれているというだけで、続けてきて良かったと思う。
先週は、Bさんが
「私、明日休む。だって、誕生日に詩を贈られるの嫌なんだもん」とわざわざ伝えに来る。
そして翌日。登校してすぐに、
「先生。私の詩はいつ発表するの? まさか忘れてないよね?」
と迫ってきた。予想通りすぎる(笑)。
ツンデレの彼女が、こんなにも期待してくれるのが嬉しい。
実践そのものに力がある、というよりは、
担任の取り組みを子ども達が「受け入れてくれる土壌がある」ことが大事なのだと思う。
先日は、ある保護者の方に「そういえば私も誕生日が近いんですよ~」と冗談を言われた。
親子で楽しんでくれているからこそ、「きざ」なことが「気障」にならなくなるのだ。
今年はこのままいくつもりだが、さて、来年持ち上がるとしたら、どんなことに取り組もう。
誰かのために何かをする幸せ。考える幸せ。
30も半ばを過ぎて、やっと分かってきた氣がする。