休校 [11代・熱血魂5の3]
大雪のため休校。
先日、引き取りを実施したばかりだったので、英断だったと思う。
メール配信、電話を使って早急に各ご家庭に連絡を入れる。
休校だったにもかかわらず、クラスの子がチョコレートを届けに来た。
「休校中なのに、何を考えているんだ!」と事務の先生に叱られているのを見て、半面で学級の子らに公的ふるまいを指導できていない担任としての甘さを恥じつつ、半面で雪の中わざわざ学校に来てくれた子ども達の心を嬉しく思った。
午前中にいくつかの会議を終えた後、空いた時間でたまっていた仕事をこなすことができた。
この土日で、全校の欠席者が少し減ってくれるといいのだけれど。
読み聞かせ [11代・熱血魂5の3]
大盛りワックス虫ボトル (YA!ENTERTAINMENT)
- 作者: 魚住 直子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/03/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
9話まで読み聞かせ終了。
こういう物語がうちのクラスには合っているらしい。
毎回爆笑の連続、そしてその後の授業で「よーん」という言葉を使う子が続出。
力のある物語であるのは間違いないのだが、やはり相性って大事だ。
読み聞かせる時間は5分…と言いたいところなのだが、話の区切り上、10分近く読んでしまうこともある。
そういう時間を捻出するのは大変ではあるけれど、やはり読み聞かせの時間はクラスにとってかけがえのない時間。今年度の子達にとっては、特にそれを感じる。
年度末までにもう1冊くらい読めるかなぁ。
読みたい本はいろいろある。
それを考える時間も担任にとっては至福の時。
世界人権宣言 [11代・熱血魂5の3]
道徳の授業。
明日は世界人権宣言の日ということで、「人権」について語る。
さて、学級の中で人権は大切にされているだろうか。
常に問い続けることはできないが、折に触れて問い直さなければならないこと。
その時 [11代・熱血魂5の3]
指導すべき事柄であるのに、静観し続けてきた。
「その時」ではないから。
その時とは?
その機会は突然訪れる。
その場だけでの単発的指導にとどまらない「意図」をもった指導の数々。
この日この瞬間のために打ち続けてきたそれら手立てをもって、その時に全力で臨む。
音楽会を成功させた今がまさに「その時」なのだ。
「さあ、いよいよ戦闘開始だ。」
大造じいさんの心境。
礼 [11代・熱血魂5の3]
算数の授業でのこと。
問題を解けた子から、個別に持ってこさせた。
「お願いします」「ありがとうございました」と言わなくても添える子、
友だち相手のような言葉づかいで出す子、
無言でノートを突き出す子。
提出の仕方に、相手に対する心遣いが表れる。
多くの子は、指導を入れなければ、氣づかない。氣づけない。
とはいえ、直接的な指導ではその場限りでの変容にとどまる。
自分から氣付かなければ変われないのだ。
今回は、子どもに合わせた対応をとる。
言葉を添える子には、温かい言葉を。
友だち言葉の子には、敢えてぶっきらぼうに。
無言の子には、無言でマルつけのみ。
かなり「意図的」に行ったのだが、氣づく子は8割ほど。
「氣づいた人?」
直接的な言葉かけで、やっと全員が氣づく。
なるほど。
一喜一憂 [11代・熱血魂5の3]
日々の小さな変化に一喜一憂しているようではダメだ。
今日は○○できた。
今日は○○できなかった。
できるときもあり、できないときもある。
そのふり幅の間に人間はいる。
AかBか、という二元論。
ABCの3つの理論。
単純化することで見えやすくなるものがある。v.v.
見方に幅をつけよう。
チクる [11代・熱血魂5の3]
「チクるのは、良い行為か悪い行為か」
「どちらでもないと思います。良い場合もあれば、悪い場合もあります」
「どんなときが良い場合か」
「相手のことを思って言うときです」
「では、悪いのは?」
「相手への思いやりがないときです」
「チクる」という言葉それ自体にマイナスのイメージが付随するからといって、
それにあたる行為の全てがマイナスであるとは限らない。
マイナスにしか見えないような事柄の中にも、「事情」がある。
その可能性を捨てずに、見ようとする者にのみ、共感の可能性が生じる。
ひと夏で心は大きく変わる。
白か黒かという討論しかできなかった子達がその中間の可能性に氣付く。
子どもはいつまでも同じ地点にとどまっていない。
私も変わっていかなければならない。
社会 [11代・熱血魂5の3]
社会は「これからの食糧生産」を学習中。
単元末なので、農業、漁業を振り返りつつ、さくっと終わらせるつもりだったのだが、子ども達の食い付きがいい。
・領土問題
・TPP問題
・環境問題
・EEZ(排他的経済水域)の話
と、いろいろな話をしているうちに、かなり時数をオーバーしてしまっていた。
「書くこと」「資料を読み取ること」をメインにする予定が、「講義」中心の単元構成になってしまった。
いかんなぁと反省しつつも、
授業後、
「先生の授業は、大人になって社会に出てから役に立つ勉強だね」「あっ、だから社会っていうのか」
なんて感想をもらうと、頬がゆるんでしまう。
自分自身、ずっと社会が苦手で、子どもからも「社会(地理)はつまらない」と言われることが多かったから余計だ。
子ども達は、世の中に関心を持っている。
私ももっと勉強しなければと思う。
最近、社会の授業が面白い。
失敗から学ぶ [11代・熱血魂5の3]
図工単元「牛乳パックで作ろう」。
失敗だったのは、「良い手本」を示さなかったこと。
基本を全員で確認しなかったこと。
ほぼマル投げするような形だったため、作品の出来栄えに、子ども達の実力が生々しく出てしまった。
実力以上の作品を作らせ、自信を持たせるのが優しさである。
今回の指導には、優しさが欠けていた。
失敗の経験は、乗り越える形で子ども達に提示していきたい。
「なかったことにする」ならばゼロ、もしかしたらマイナスに向かうかもしれないが、プラスにいく可能性があるならば、それにかける方が良い。
失敗と真摯に向き合おう。