2018-11-07

跳び箱第1回目の授業のこと。跳び箱の配置の仕方について伝え、クラス全員で準備に取り組んでいたのだが、途中で人手が余り始めた。すると、効率的に手を抜き始める子が出てきた。

正確に言えば、その子たちは人手が余り始める以前から準備に取り組む風な動きをしているだけだった。だから、周囲の空気が弛緩した途端におしゃべりを始める。「だって、人手が足りているから。」だし、「みんなもそうだから」だ。

一方で、自分の手が空くと周りを見て、積極的に手伝おうとする人がいる。褒められたいからとか叱られるからという理由ではなく、みんなが困っているのを見るのが嫌だから・・・という理由で行動できる人がいる。

6年生くらいになると、そうした行動の積み重ねは顕著で、例えば給食の準備、掃除当番への取り組みなどにも同様の姿が多く見られることになる。さぼる子は、体育だけさぼるのではなく、多くの場面でさぼる。そうした行動の傾向から、周囲に評価されることとなる。

今日は間接的にではあるが、そのことを子どもたちに伝えた。感じる心のある子は、片付けの場面ですぐに行動の変容が見られた。一方、行動の変容が見られない子も当然いた。さらにその後、給食や掃除の時間にまで変容が持続する子もいれば、すぐにいつもの行動に戻ってしまう子もいた。まあ、そういうものだ。こういう話は折にふれくり返していくしかないのだろうな。

経験を重ね、「少しだけ」変容を焦らなくなった自分がいる。

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