「新世界より」再読 [長期研究時代]
通勤読書7,8,9冊目。
去年に1度読んだときは、あさのあつこ氏の「№6」によく似ているなぁという第一印象が強すぎて、作品世界に「入り込めなかった」。傑作であることを深く認めつつ、だ。
さまざまなジャンルで飽くことなく繰り返されるモチーフ、
・ユートピアから反転してのデストピア
・超能力者と非能力者の相克
・思春期の同性愛的感情
・感染症(ウィルス)や心理学による根拠づけ
「美味しい部分の寄せ集め」と斜に構えてしまい、それらのモチーフを破綻させることなく1400ページもの大長編にまとめ切った作者の敏腕、一気に読ませる語りの上手さ、そして何よりも
細部までとことんこだわった世界観の完成度の高さ
を素直に認められないでいた。
その一番の理由は、「グロ注意!」と絶叫したくなる凄惨な描写ではなく、ポルノ小説まがいの性描写の方にある。村上春樹が「好き」と言えないのも多分同じ理由。あからさまな性描写はどうも得意ではない。
「ダレン・シャン」には抵抗を感じないが、「カラフル」を教室に置くのには抵抗がある。そんな気質が自分にはある(といって、決してグロ小説が好きなわけではないのだが・・・)。
さて、今回再読をしたくなった動機は、本屋大賞に選ばれた「鹿の王」を再読したことにある。話の中に出てくるモチーフが類似している、例えば
「黒狼病」と「悪鬼」「業魔」
主題とも大きく関連するワードであるが、そういう分かりやすい類似点だけでなく、「読後感」が何となく似ている。そう感じた。
もしかしたら、ちゃんと読めていなかったかもしれないな。
そんな素直(!?)な気持ちで読み直してみたら、驚くべき面白さだった。1回目の読書で傑作と認めつつこの世界観に浸りきれなかったのが不思議なくらい、ハマってしまった。2度目でどっぷりとハマる読書体験は、ル・グウィンの「ゲド戦記」2巻以降以来か。
1400ページの大著であるが、通勤時間だけでは飽き足らず、寝る間も惜しんで3日間で読み切ってしまった。特に下巻に入ってからは、バス停から自宅まで歩きながら読んで帰ったという教員にあるまじき事実も告白しておく(笑)。それくらいに世界観に没頭してしまった。
内容については改めて触れないが、再読して特に深く感じたのが作者の「日本語へのこだわり」。
遊弋、容喙、立錐の余地もない、騎虎の勢い、一揖する
生活の中では耳にしないそれらの言葉が、とても美しく感じた。
日本語をはぐくんだ日本という国に対する作中人物、ひいては作者の「愛」を表している・・・作品の舞台を日本に選んだ必然性がはっきりと感じられた。
次はこの勢いで「指輪物語」にいくか、と思っていたが、来週は小休止、短めのものをいくつか読みたい。
ということで、通勤読書10冊目はこれ。
「夜間飛行」以降、光文社の新訳シリーズにハマっているのだ。
中学生以来なので、何年振りか。楽しみだ。
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