ことばの魔法を借りて
同質性のある者同士で「仲良し」を形成するのではない。
異質な部分を主張しながら、それを尊重し合い、調和を目指すのだ。
本質的に分かり合うことは不可能という前提に立てば、倫理の可能性が見えてくるはずなんだ。
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