過保護と過干渉 [読書・映画・音楽]

ランサム・サーガ4作目『長い冬休み』読了。

長い冬休み(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

長い冬休み(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

  • 作者: アーサー・ランサム
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/07/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

ウォーカー兄弟とアマゾン姉妹、D姉弟が加わり、一層にぎやかになった今巻。

「北極圏」を目指すという体験を特別なものにするため、子どもたちが大切にしたのは「秘密」。


「秘密」とは、未知の余地を残しておくこと。

それこそが、冒険を冒険足らしめるのに一番大切なものであることを、子どもたちは知っている。年少のロジャでさえも。

だから彼らは、敢えて確認を怠る。聞きたくても聞かない。

物語では、それが波乱を巻き起こすことになる。

・・・結果として彼らは、望んでいた以上の冒険を味わうことになった。


大学時代に読んだ時は、自閉的で自分の世界を持つディックと、ティティ以上の空想癖を持つドロシアのD姉弟に強い共感を覚えた。彼らの冒険に心からの喝采を送ったものだ。

今もその気持ちは変わらないが、「もしかしたら、大変な事態になっていたかも」という「原住民的」感情がより強く顔を出すようになった。守るべきものを持った親の感情だ。

蛮勇は、良い結果によって帳消しにされる訳ではないのだ。


だからこそ、キャプテン・フリントとブラケット夫人の対応が光る。子どもたちに寄り添っているとはいえ、自分たちの庇護から離れた行き過ぎた冒険に対し、本心では「原住民的」対応をとりたかったかもしれない。しかし、それをしなかった。

8人全員が北極点にたどり着いたのを確認したとき、眠る子どもたちに対して2人のとった対応は、目覚めるまで待つことだった。子どもたちと共に眠るということだった。


現在の価値観では「あり得ない」対応だ。たぶん、当時でもそう。物語だから許される「寛容」なのだ。

ランサム・サーガにおいて、大人たちは子どもたちの世界に干渉をしない。(そうでない例もあるが)

しかし、無関心ではない。過保護なほどの確認を決して怠らない。

だからこそ、子どもたちは安心して冒険をする。

失敗や冒険に対する責任を自分たちで引き受けようとする。

信頼を裏切るような「ノロマ」な行為を心から恥じる。

失敗に対する寛容と挑戦に対する責任が、シーソーの両端で釣り合っているのだ。


「過保護はあっていい。過干渉がダメだ」というのは、明橋大二の言葉だったか。

自分の娘に、また、クラスの子どもたちに対し、どうだったろう。

そんな自省を迫られる読書になった。


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