主語は教師 [教師修業]
「やってやっている」という意識からスタートしている子達に「責任」を求める指導は通らない。
なぜなら、彼らには初めから責任感がないのだから。
反発を食うか上からの抑え込みになるか。どちらにしても、幸せや充実感とは程遠い。
まずは成功体験と自己重要感を満たすこと。
もっと教師が支えてやらなければならない。
もっと教師が教えてやらなければならない。
もっと教師が氣付かせてやらねばならない。
「教師」を主語にして語るのはおかしいという人もいる。
教室の主役は子どもなのだと。
一面の真理ではある。
しかし、教育の「教」は、主語が教師にあることを示している。
「教わる」という前提が崩れつつあるからこそ、教師が主体となり教えなければならない。
2012-07-01 12:00
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