主語は教師 [教師修業]

「やってやっている」という意識からスタートしている子達に「責任」を求める指導は通らない。

なぜなら、彼らには初めから責任感がないのだから。

反発を食うか上からの抑え込みになるか。どちらにしても、幸せや充実感とは程遠い。

まずは成功体験と自己重要感を満たすこと。

もっと教師が支えてやらなければならない。

もっと教師が教えてやらなければならない。

もっと教師が氣付かせてやらねばならない。

「教師」を主語にして語るのはおかしいという人もいる。

教室の主役は子どもなのだと。

一面の真理ではある。

しかし、教育の「教」は、主語が教師にあることを示している。

「教わる」という前提が崩れつつあるからこそ、教師が主体となり教えなければならない。


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